サモコフ (Obshtina Samokov)
かつては手工芸や絵画が盛んで、Zahari Zograf、Hristo Dimitrov、Nikola Obrazopisov等の著名な者もいた. 町の名前は、各々「自己」を意味する言葉と「鍛冶場、ハンマー」を意味する言葉の複合語であり、また、水力による機械鍛造を意味するsamokovに由来する. これは、中世の時代には、この町が製鉄の中心地であったためである.
サモコフの創設は、14世紀にサクソン人鉱夫により鉱山街として始まったと考えられている. 1455年に初めて言及され、1477年にはオスマン帝国により、Vlaychov Samokovとして登録された. サモコフからは、きめ細かく印象的な木彫りを作成し、美しいイコンを描き、ユニークな建築を構築するスキルが認められた当代最高の工匠、木彫師、建築家が何人か生まれている. 実際、サモコフには、当時この地域で有名な3つの木彫り学校のうちの1つが所在していた(他の2つは、デバルとバンスコにあった). 彼らの作品は、バルカン半島中の多くの教会や文化施設で見ることができる.
16世紀から17世紀には、この地域での鉄抽出の中心地に成長し、西洋の旅行者は「かなり大きな都市」と記している. 1565年から翌年までの間に、サモコフからベルグラードに2万個の蹄鉄と3万本の釘が送られた. ポモリエ等の黒海沿岸の造船所向けの錨等の材料の生産も行っていた. 木材産業も発達していて、1573年には、メッカに300本の梁を輸出した.